剛柔会プロフィール

剛柔会について

空手近の源流は中国拳法に在る事は周知の事ですが、大いなる中国の歴史の中で、唐・宗・元・明と文化の欄熟期には『紀効新書』(明・万歴、23年、1593年)という書物に拳法の技術が詳しく紹介されるまでになりました。さて、14世紀には、この拳法が沖縄に伝えられ、15世紀、尚代が中山、南山、北山の三王国統一を果たし中央集権国家琉球王国が成立、拳法は従来沖縄にあった格闘技と混合「唐子」又は、「手」として伝承されました。

 

明治初頭までは「秘伝」として、稽古も多くはひそかに行なわれ、型も高弟のみが伝授され、適任者がない時は師範一代で消滅したものが多くあったと言われています。その後、教育制度の改革により、その教練に武道が採用され、沖縄に於いて明治34年頃、県立一中、男子師範学校が空手近を体育として採用、年を追って普及も加速いたしました。
本土においては、大正11年、第1回運動展覧会に、沖縄から上京し、故船越義珍師範が演武披露したのが初公開といわれております。

 

昭和3年、京都大学、同7年、関西大学、同10年、立命館大学に招かれ剛柔流の流祖宮城長順先生が演武、講演され、各大学に空手道部が創立されました。

 

大戦後、大学空手道部員であった学生が帰京、各地に道場を開設、空手道は文字通りの全国的普及を果たしました。
昭和25年、練達の諸先輩各氏が「全日本空手道剛柔会]を結成、昭和47年、更に、広く同好の十に呼びかけ、現在の「全日本空手道連盟剛柔会」へと発展致しました。

 

現在、全国での町道場、職場、学校の空手部は約五百ヵ所を数えるまでに発展、普及を遂げております。

流祖 宮城長順師範

剛柔空士道は、宮城長順先生に始まる。

 

先生は明治21年4月25日、沖縄県那覇市に生まれ、幼にして東恩納寛量先生の門に入り、いわゆる「那覇手]を学ばれ、その後、中国に渡り、福建省福州において中国拳法を修行し帰国、東恩納先生の没後、それまでに習得した、即ち沖縄で発達した「手]と、その源流であるところの「中国拳法]を改めて再編するとともに、更に地方的土着の武技から、日本全土に通じる日本武道の一つとして昇華せしめるべく精神的、理論的体系を構成、名付けて剛柔流とされた。

 

これは空手道において名乗られた最初の流名であり、武備誌の「法剛柔呑吐]に由来するといわれる。爾来、剛柔流空手近をもって、沖縄はもとより日本全土における空手道界の第一人者として斯道の発展普及に生涯を尽くされ、昭和28年、65才で亡くなられた。拳聖とうたわれ、近代空手の父といわれている。

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